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日本の偉人🇯🇵🇯🇵

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170221-00001942-cbcv-soci


皆さんは杉原千畝さんをご存知ですか??

彼は第二次世界大戦中の外交官です。


彼の偉業とはナチスに迫害されていたユダヤ人にビザを発行し助けてあげたことです。

簡単に書いていますが、当時の状況を考えるととんでもなくすごいことです。



それはなぜか。

当時日本はヒトラー率いるドイツと友好的であり、日独伊三国軍事同盟締結を控えていました。ドイツはものすごく強く、ポーランドを瞬く間に占領し、全盛期でした。そして問題なのは、ユダヤ人を迫害していたことです。


ユダヤ人は迫害を逃れるためにはヨーロッパから脱出せざるを得ませんでした。一番いい策は自由の国アメリカに逃れることでした。

が、経路としてはソ連(ロシア)のシベリア鉄道で横断するか、どこかの国からビザを発行してもらうかの選択でした。


当時のソ連は、独ソ不可侵条約でバルト三国を飲み込むほどの勢いで、独との友好を重んじ助けてくれそうもありませんでした。

さらに、トルコ政府がビザを発行停止したことにより、日本の大使館しかビザを発行している場所がありませんでした。


もちろん迫害を逃れたい人たちが多く訪れます。しかし、日本政府はビザ発行に難色を示しビザ発行は期限内には困難でした。

そして、自分の意思でユダヤの方々にビザを発行したのです。


ソ連の退去命令や本国からの帰還命令を受けながら、1ヶ月間寝る間も惜しみビザを書き続けました。

その枚数2139枚。約6000人以上です。

汽車が出発する瀬戸際まで書き続けたそうです。


汽車が発車し杉原さんの最後の言葉が


許して下さい、私にはもう書けない。みなさんのご無事を祈っています

と、おっしゃったそうです。


ユダヤの方々は口々に、私たちはあなたを忘れません。もう一度あなたにお会いしますと言っていたそうです。

これを命のビザと言います。



その後、戦争が終わりユダヤの人々はイスラエルを建国。

1968,1972年とイスラエルの重役が来日し、杉原さんに対する日本政府の仕打ちに驚愕します。

その後イスラエルなどの働きかけもあって、杉原千畝さんの名誉が2000年頃回復しました。




今の教科書にどこまで書いてあるかはわかりませんが、このような偉人をぜひ詳しく載せて欲しいですね。